なぎくんの育児日記1 ーなぎくんは、我が家の一人息子(4)ー
保育園に通っており、私のことも夫のことも大好き。
どちらの祖父母にも懐いていて、なぜか叔父にあたる私の弟(あっくん)のことを友達だと思っています。
なぎくんは、博愛主義のようで、「お父さんとお母さん、どっちが好き?」というような質問には、明確な答えを出しません。
そんななぎくんは、結婚四年目にできた待望の子ども。
私が多嚢胞性卵巣症候群だったこともあり、「不妊治療にそろそろ踏み切ったほうがいいな」と考えていたところでタナボタ的に妊娠しました。何度目かの妊娠検査キットで、陽性が出た日。それは、ちょうど5年前の七夕の日でした。
そして、その1週間後から11月まで、悪阻で吐き続ける毎日がスタートするのです…
■悪阻(つわり)ってこんなに辛いのか…
悪阻がスタートしたのが、7月中旬。吐き気は突然来ました。
仕事に行く前から2回嘔吐。
(やばい、炊きあがったご飯の匂いがほんとにキツい…そして何より、買ったばかりの…お気に入りのソファーの麻布の匂いがー!!……ううっ…)
よく、悪阻中は炊きたてのご飯の匂いに気持ち悪くなると聞いていましたが、実際にその通りで驚きました。加えてソファーの匂いがダメと言う謎の症状で、私は悪阻期間中極力リビングには入らないという生活に。立ち上がると眩暈もあり、ほとんど家ではベッドルームで横になっていました。
続いて、キュウリとひき肉の匂いがダメになり、パンやらも喉を通らず。チーズやチョコレートなど、味の濃いものはすぐに吐いてしまいます。
夫は朝弱くパンとカフェオレだけなので、私は毎朝仕事前に実家に寄り、母のお味噌汁と冷やご飯をちょっとだけ食べて会社へ。お昼は大体グレープフルーツゼリー。
それでも安定期になるまで、会社では全体への発表がありません。
発表がないと、身体を使う仕事も続けないといけません。先のブログで書きましたが、私は地方の出版社勤務。重いライトセットを持って撮影にも出かけます。
食事もままないまま身体を使うのは辛く、その上やたらと吐き気があるタイプの悪阻…会社のトイレで1日に10回以上嘔吐していたので(もう胃酸しか出ない)、社内発表はないものの、周囲の人は私が妊娠していることを知ってました。もうはやく発表してくれ!
ほとんど食べてないのに、なぜか息子と私の体重がちょっとずつ増えてきます。「その重み、どっからきてたの?霞くってたの?」と、いまだに謎です。
そして、医者には「入院…ってなったら入院だけど、まあひどい悪阻で大変だよね」…と言われつつ、通院の日以外は休まずに根性で仕事しました。というより、仕事していないと気がまぎれなかったのかも。
社内発表がある前に、先輩のママ社員に色々と相談にのってもらえたのは本当に助かりました(私の会社ではママ社員が女性相談員として総務に登録し、後々妊娠した人の相談に業務中ものってあげられる制度があります)。
食べても具合悪いけど、食べなくても気持ち悪い(食べ悪阻というそうです)。先輩ママ社員からは、「少しずつしか食べられないなら、スポーツドリンクを飲みながら、デスクでカロリーメイトを一口ずつ食べるといいよ」とアドバイスがありました。
脱水症状のように水を一気に飲んでも吐いてしまうので、カロリーメイトで口の中パッサパサでしたが、これでだいぶ楽になったのを今でも覚えています。
■そして念願の安定期・悪阻終了へ
秋に安定期に入り、会社全体での発表も経てしばらくたったころ。急に悪阻の辛さが引いていきました。
仕事も、カメラセットどころか三脚を持っていくような取材からははずざれ、ほとんど社内中心。コラムや読み物ページの制作を中心にしていました。
当時、お腹の中のなぎくんは男の子だと判明したばかり。少し小柄でしたが、足がちょっと大きいとのこと。
「足が大きいと身長が伸びる」って本当なのでしょうか?
私は150cm未満の身長なので、その診断がちょっとうれしかったのでした。
この頃は、まだ会社員だった夫と出かけたり、映画に行ったり、友人や母と食事に行ったり…穏やかで充実していました。子どもが生まれたらこう自由にはできないでしょうからと、「人生の夏休み」気分で過ごしていました。定時帰りですが仕事もしてましたけどね。
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